伯方塩業株式会社

伯方の塩誕生物語

Birth Secret Story

人々の熱い想いが
形となった「伯方の塩」

1973年、自然塩(塩田塩)存続運動を行った
消費者団体を母体に、
消費者による消費者のための
塩の会社「伯方塩業株式会社」が
愛媛県伯方島に生まれました。
設立時には、1口10万円の
無担保、無保証、無期限の
「塩による出世払い」で出資を募ったところ、
たちまち数百万円が寄せられました。

自然塩(塩田塩)
存続運動とは

自然塩存続運動

自然塩の存続を願って
起こした消費者運動

1971年、日本人が慣れ親しんできた塩田でつくった塩がなくなり、イオン交換膜でつくる塩(塩化ナトリウム99%以上の過精製塩)に切り替わりました。当時、塩は「塩専売法」という法律のもと国が管理しており、自由に塩をつくって販売することができませんでした。そのため、世界でも食用にした前例がなく、安全性が十分に確かめられていないものを強制されることに疑問を抱いた消費者が塩の危機を訴え、自然塩の存続を願って運動を起こしました。
故・菅本フジ子さん(日本自然塩普及会 永世会長)を中心とする活動は、全国に広まり、各地の消費者・団体の協力によって短期間に5万人の署名を集め、国を動かす大きな運動となりました。

運動の趣旨

1. 食物は自然に近い方が良い。化学薬品を使い、化学薬品のように純化された過精製のイオン交換膜製塩を食用に強制する必要は全くない。人畜への安全性も確かめられていない状態で世界に先駆けて急ぐ必要はない。

2. 生命維持に関わる基本食料である塩を選択する自由を奪うのは基本的人権の侵害である。

「伯方の塩」の由来

安心と食用最適塩を探求する
消費者運動から誕生した
「伯方の塩」

伯方島の塩田を残してほしいと起こした消費者運動の結果、塩田を残すことはできませんでしたが、生産上の制約(※1)のもと、安心して食べられる塩を自分たちでつくることができるようになりました。伯方島で塩つくりに携わっていた人々の協力のもと、試行錯誤しながら塩つくりをはじめ、1973年12月、塩田の塩を手本に、にがりをほどよく残した「伯方の塩」が誕生しました。
「伯方の塩」の名前には、「伯方島の塩田を復活させたい」という多くの人々の願いが込められています。

「伯方島の塩田を復活させたい」という願いを込めて

生産上の制約(※1)

1973年、厳しい生産上の制約のもと、国から生産販売委託の認可がおりました。

1. 国がメキシコやオーストラリアから輸入していた「原塩(天日塩田塩)」を利用すること。海水から直接塩をつくってはいけない。

2. 平釜(熱効率が悪い釜)を使うこと。

3. 専売塩を誹謗(ひぼう)してはならない。

4. 袋のデザインや文言の変更も専売公社の確認をとること。

※ 日本専売公社(専売公社)とは
国の収益を目的に【たばこ】と【塩】の専売事業を行ってきた、全額政府出資による公共企業体。1949年に大蔵省の外郭団体として設立、 1985年に民営化され解散。また、専売公社が製造・販売を管理していた塩を【専売塩】と呼んでいた。

原料へのこだわり

安定した品質の塩をできるだけ
安く提供するために、
天日塩田塩を原料の一つと
しています

自然エネルギーを利用して結晶させた塩
自然エネルギーを利用して
結晶させた塩

海水の塩分濃度は3%程度です。海水をそのまま煮詰めて塩をつくるには多くの燃料が必要となります。伯方の塩は、太陽熱や風といった自然エネルギーを利用して結晶させた天日塩田塩を瀬戸内海の海水で完全に溶かし、濃い塩水をつくっています。結果として、海水をそのまま煮詰めて塩をつくる場合と比べてCO2の排出量が少なくなっています。

豊かな自然環境でつくられる
天日塩田塩

ゲレロネグロ塩田(メキシコ)
ゲレロネグロ塩田

クジラの保護区として世界遺産にも登録されている「セバスティアン・ビスカイノ湾」に面した約486㎢(参考:琵琶湖 約670㎢)の広大なゲレロネグロ塩田。
この塩田に海水を引き込み2年ほどかけて天日で塩を結晶させます。

プライス塩田(オーストラリア)
プライス塩田

国立公園や鳥類保護区にも指定されている自然豊かな環境に囲まれたプライス塩田。約11㎢(東京ドーム285個分)の広さの塩田に、南極海からつながる南オーストラリアの海水を引き込み、約1年かけて天日で塩を結晶させます。

原料の天日塩田塩には、にがりがほとんど含まれていません。
また、屋外でつくられるため結晶の中にゴミ・泥などが入っています。そのため、天日塩田塩を瀬戸内海の海水で完全に溶かし、ろ過したきれいな濃い塩水を原料とすることで海水のにがりを含む塩をつくっています。

安心して食べていただける塩をお届けします

塩の味や品質は、どんな原料を使うかではなく、
つくり手の「塩への想い」や「つくり方」で変わります。
当社では、創業の精神を忘れず、
これからも皆さまにより安全で
より美味しい塩をお届けできるよう、
さらなる努力を続けて参ります。

安心して食べていただける塩をお届けします